アニメや映画を見る側から作る側への素質とか。 〜音響効果の仕事をしていて参考になる図書や映画

アニメや映画制作者になりたいなら、映画はみていないとおかしい。って話。
これは見とけ!という映画ってありますか?
そんな話題になったりはします。*リストするのは難しく感じます。

なぜなら映画好きなら割といろいろと見てきていて、改めてどうのこうの言う気があまりないから。

弊社が属している業界へ応募されてくる方。
個人的な印象ですが、2000年代ぐらいまでは映画(洋画)が好きで志望される方が多かった。

最近は弊社のスタッフもそうですが、アニメが好き。という方が多くなってきていまして
業界内でもそのような話を聞きます。最近の人は映画あまり見ないのかな?と。
少し寂しい感情と、大丈夫かな?と心配になる感情がいりまじります。
業界の録音、ミキサー方面をめざしたり音響制作になったり、音響監督になりたいという
人たちもアニメ好きが玄関口になっている人はふえてきているようなんですね。取引先まわりの
スタッフと話していても感じます。


私は親が映画が好きでレンタルビデオなどで一緒に見ていたりしましたし
映画館をはじめレーザーディスクからレンタルVHSからDVD、WOWOWやらで
けっこうな数を見てきました。金曜ロードショーとかTVでもいろいろな作品をみました。

映像作品の最上級に手間暇、時間、技術かかってるのは映画なんだから映画見た方が良い。

映画って実写映画のこと?洋画のこと?
と思われると思いますが、この地球上でもっともお金がかかっていて
技術的に進んでいて、興行収入を稼ぐのはハリウッド映画です。

仕事としてかかわるならば、あえて避ける理由はありません。


アニメーションだっていいでしょう?
と思われると思います。そのとおりです。
劣っているとかそういう話ではないんです。

アニメでしかできない表現や抽象化されてつたわりやすい、
つたえやすい部分があります。そういう意味では小さいお子さんにもわかりやすく
支持されやすい部分がります。いまや、アニメは子供だけのものではないですし
実写とアニメなどと並べて比較するものでもありません。

かつては比較対象だった私が子供だった頃のような時代もありました。
小説や漫画、外遊びとテレビゲームなども
並列に並んで優劣を大人が判断している時代でした。
今でいう、陽キャと陰キャ、にもいえるかもしれません。
オタクとそれ以外の普通の人、のような文脈でくくられてました。
もう少し時代が進むと、陽キャとインキャ、というのも死語になるでしょう。
アニメ映画というと、東映まんがまつり、とか夏休みや正月に親が子供を
連れていくどらえもんとか、そういう映画で、中学ぐらいになると
卒業して見に行かなくなる。そんなような風潮が私のころにはありました。

死語といえば、アニメを漫画とか、漫画映画とかいう人もいないですし
活劇だの銀幕だのメガホンを取る、とかいう言葉もききません。
もはや *おニュー なんていう人いないですもんね。
*”NEW”:新しい、に丁寧語のおがついた。新品を指す。「おまえその靴オニューじゃん!」
御NEWがただし表記なのかもしれない。


現代では大人でも漫画を読みますし、ビデオゲームやスマホゲームを老若男女、普通に嗜む。
日本の劇場公開作品の興行収入ランキングはアニメーション作品のほうが金額もランキングも
上位です。日本の実写映画全盛の時代(昭和30年代1950-1960)では考えられなかったことでしょう。
詳しい考察は専門家に譲りますが、私はここでアニメが上とか、下とか実写がー……
などという感覚は私にはまったくない。そういう話をしたいわけでもありませんし
どちらかを持ち上げるとか、ディスるつもりもありません。
ただ、現実世界はそうなっているようです。という話です。

とはいえ、

基本的には映画がお手本であるし、大元だ。

と、私はいつもスタッフに話しています。
実写映画は総合芸術と称されます。
膨大な時間を使って作られていて、モーションピクチャー、動く写真。というように
映画のどのカット1コマを静止画にしても完璧な構図であり、写真としても芸術。
そういうようにできていて、多くの人が関わっています。

撮影現場にいくとわかりますが、1cut、1cut。撮影するのにとても時間がかかります。
照明をはじめ、レールを水平だしながら敷いたりとか
俳優さんの立ち位置などをリハーサルしたり、あらゆるセットアップを行いながら
行うわけですから、当然、時間がかかります。

映画をつくるには多くの人の尽力が必要です。
脚本でありそれをブラッシュアップするシナリオライター、
お金やスタッフをあつめるプロデューサー、監督、撮影コンテなどを書くアーティスト、
作品によっては背景イメージなどを書くアーティスト、俳優、声優、


大道具、小道具、衣装、メイク、照明、撮影(カメラ)、
撮影用の特殊機械(特機:送風機とか撮影クレーン)、
録音、編集、劇伴作曲、音響効果、特殊効果をつくりだす専門家(爆薬とか特殊メイクとか)、
ロケーションを探してくる人、キャスティングする人、会計の専門家、


宣伝の専門家、機材を調達したり必要な場所時間に届ける人、
そうした物資のロジスティックス全般を管理統括する人、
撮影現場で暖かい食事を提供するケータリングの人、
撮影の計画を立て、管理する人。完成しても、宣伝をする人や配給先と
交渉をする人、

権利関係をまとめたり処理したり、ブルーレイなどにする際に
オーサリングする人や、パッケージをデザインしたり、売り先に営業をしたり、
店頭でポップをつくってくれたり、ポスターを作る人がいたり。
制作費を回収して儲けをだすためのことも
めちゃくちゃ*膨大です。

その膨大な数の関わった人の名前が、映画やゲームではクレジットされているんですね。
その一流の人たちのこだわりの総意が、映画という形になっているわけなんです。
映像の設計、構図、技法、表現、そのために開発された技術、CGやソフト、
プログラムはやはり最先端をいっています。
そこから刺激を受けて、漫画や2Dアニメであり3Dアニメでありクリエイターが
創作の連鎖をつむいでいくわけですね。

つまり、まずは映画みろ。
って話になるんです。
その上で、この効果音、音響効果の仕事となりますと、
やはりアカデミー賞の録音賞や音響賞をとっている作品は
この仕事を志す、従事しているならこれを知らなくて何をしる?!
という感じかと。

アニメの音響効果自体が、洋画映画に憧れた人が
そんな風をイメージしてつくっていたりする場合もあるでしょう。
アニメばかり見ていて、オリジナルを知らなければ、それでも十分刺激的な体験になるでしょう。
しかしながら、質としては劣化コピーを見ている可能性も孕んでいます。
ハリウッド映画の何何みたいな世界観で〜、とかああいう感じの音で〜
というオーダーを監督が出すことも往々にしてあります。
その映画、見たことあればいいですけど……。あとで見ます……。
というのはその作品の有名度合いが高いほどちょっとバツが悪い。

あくまで私個人の意見ですが、

オリジナルを、大元を作った人のものを
体験できるなら体感したほうがいい


そんな風に思います。
そのジャンルを確立したというような作品。怪獣映画ならジュラシックパーク。
とかそういうものってありますよね、そこをあえて通らないで行きたい!
そういう気概はとても大切ですが、

どんなにがんばってもジュラシックパーク以下の
ものしかお客様に提示できないのであれば、それはジュラシックパークを勉強すべきでは?
お客様の期待や要望に最低限度でも応える意味で。

と思います。
我々は商業作品を作っているわけで、事業としての存続や商品としての価値、
製作費をペイしてできるだけ利潤が最大化されるようにがんばる必要がある。
そんな側面も担っているわけです。
売り上げなんて関係ない、パトロンが満足するアートフィルムでいい。
そういう案件は現実にはほとんどありません。

TVでかかる、映画館でかかる、というのは資本が投下されていて
その資本の出元と帰る先は多くの場合は株主になります。

そうして制作された作品は、ハリウッド映画や高予算、低予算、さまざまな
作品と一同に映画館で上映されるわけです。
ゆえに、明らかに見劣りする音、効果音表現を自己満足で作品に供するというのは
さすがにプロとしては看板は下ろすべきだと思うわけです。
個人的には、ですよ。失礼、だと思いませんかね、見てくださるお客様に、
お金を出してくださったメーカーさんや委員会、出資してくださった企業様に。

自分的には過去一、人生で一番がんばった怪獣の音かもしれなくとも、
他者からみれば、たくさんある中では劣っている方。

というような評価であれば、私は作品や関わっているスタッフに申し訳ないと思うんですね。


ちなみにこの、他者や客観視点からものごとを見る、考えることをメタ視点とかいいます。

このメタ認知の能力が高いことはとても重要です。
最初から持っている人は少ないと思いますが、お客様商売(サービス業)や人の
気持ちを考える仕事にはとても重要な要素です。



ジュラシックパークを参考にしましょう。リファレンスにして超えましょう。
そんな単純な話ではないんです。

その音、その表現が生まれた、創作者の工夫や考え方に思いを馳せましょう。


と私は勧めたい。
実際問題、業界標準的な知識や見識は
映画をそういう目線、作り手目線でみるようになることが
視聴者、消費者としても今までと、制作者へと生まれ変わっていく
大きな岐路になるかもしれません。

純粋に映画を楽しむというより、分析的になってしまう時期があるので
本当に映画やアニメが好きでいつまで楽しんでいたいのならば、
つくり手側には来ない方がいいかも。
そんな風にも思います。
嫌なこと、知りたくなかったこともあるでしょうし。


いろいろ敷居が高くなると面倒臭いので今日はこのあたりで失礼します。
映画は基本です。必修科目の当たり前です。
王道もセオリーも、すべて映画が教科書でありお手本です。
*守破離 の修行も、まずは映画です。

*リストする:ただ、見た。からってどうにかなるものでもないし……。なんて思ったりも。

*膨大:挙げられた役職名がごく一部すぎて撮影に詳しくない自分に自己嫌悪になるほど。
ハリウッド作はほんのちょっとしたことで関わった人でもきちんとクレジットされる。
ピクサーやディズニー映画では制作中に生まれたスタッフの子供の名前がクレジットされるのも有名。


*守破離:日本の剣道や茶道での修行の段階を示したもの。
守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

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この記事を書いた人

Hkurahashiのアバター Hkurahashi 代表取締役社長

株式会社オトナリウム代表取締役社長  
好きな言葉は  楽しみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度くふめし

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